5月 29

2024年雄勝町社員旅行

 

日時 2024年5月24日(金)~25日(土)

行先 宮城県石巻市雄勝町

宿泊 石巻グランドホテル

宴会 割烹竹の浦

訪問先 石巻市雄勝支所、道の駅碩上の里おがつ、成澤漁業、大川小学校、雄勝町震災慰霊公園

バス カミコウバス

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日和山公園にて

 

8年ぶりとなる雄勝町への旅行に行ってまいりました

1日目

朝7:30に一路石巻を目指して出発、車内では早速宴会が始まり用意していた缶酎ハイは到着前に売り切れてしまいました。途中安達太良SAでお昼を頂き、さらに北上し15:30に石巻市日和山公園に到着。石巻港を一望できる高台で記念写真を撮りました。

震災直後は何かも流されてしまった港は綺麗に整備されていました。ただ人家のあった場所に人家は無く震災伝承館が建っていました。

 

ホテル到着後少し休んでから再びバスに乗り宴会場となる割烹竹の浦さんへ移動

到着して驚いたのは会場の名前が「蘭の間(あららぎ)」だった事、亡くなった蘭常務も一緒に参加したかったのでしょうか、とても不思議な縁を感じました。

 

 

 

 

 

 

 

宴会は歳原社長の挨拶から始まりました

続いて来賓代表として澤村製碩株式会社より澤村社長様にご挨拶を頂戴しました。

ご来賓は澤村社長様、元雄勝支所長千葉様、成澤漁業より成澤様、成澤さんご子息の4名が参加されました。

 

加藤取締役の発声で乾杯! 現地コンパニオンさん3名が宴会を盛り上げてくれました

カラオケも始まり大盛り上がりであっという間に2時間がすぎてしまいました

みんな笑顔で日頃の憂さも晴れたはずです

 

二日目
8:30にホテルを出発して雄勝町へ
最初の訪問は雄勝地区震災慰霊公園です。雄勝病院跡地で津波により3階建ての屋上まで波にのまれてしまい、入院患者、医師ら50名以上が亡くなった場所との事でした。
みな思いおもい手を合わせ亡くなられた方のご冥福をお祈りいたしました。
慰霊碑には千葉さんのご子息のお名前も刻まれておりました・・・

雄勝地区震災慰霊公園モニュメント

千葉さんのご子息のお名前も刻まれていました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

続いて雄勝支所にて安部支所長から雄勝町の被害と復興状況の説明をして頂きました。

雄勝町では震災前4300人いた人口は今や1300人となってしまったとの事、しかし漁業権の関係で住所だけを雄勝町にしている方もいらっしゃる為、実際には1000人にも満たない実人口であるとのお話でした。

高台移転や10Mもの巨大防潮堤等、ハード(箱)の面では整備されたものの、人が戻って来ないとついには限界集落になってしまう恐れもあり、コミュニティの活性化策として道の駅を作り人の往来を呼び人口増に取り組んでおられるとの事でした。

雄勝支所での説明会の様子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

窓からはカモメ?が飛び、奥には防潮堤が見えます

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昼食は道の駅碩上の里おがつにある伝八寿司さんのウニホタテ丼を頂きました

ウニはまさに今が旬という事で、朝獲れ完全無添加の新鮮なウニとホタテは何も付けずとも甘く口の中でとろける美味しさでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昼食後は成澤漁業さんへ訪問

我々が継続してお手伝いさせて頂いた牡蠣養殖の見学をさせて頂きました

ボランティア経験者は、あのきつかった作業を思い出すと同時に懐かしさが込み上げてきて盛り上がっていました。また初めてのメンバーは目の前で見る牡蠣棚に新鮮な驚きがあり、とても良い経験になったと思います。

そして帰り際には全員に2袋ずつもの新鮮な牡蠣をお土産頂きました。成澤さんいつも有難う御座います!

出航前に一枚

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

船上にて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そしていよいよ最後の行程となる大川小学校(震災遺構)を訪問

献花台に花を置き全員で手を合わせました。ひと際大きい花が亡くなった子供達や先生方への慰霊になればと思います。ここでは108名もの子供たちと先生がたが亡くなったそうです。避難誘導について裁判になった事は有名な話ではあります。

ただ避難誘導をした先生方も亡くなっている訳で、みなが最善と思う判断をしてもそれを上回る災害の前では無力でしかなかったという事だと思います。 ただこれからは「想定外」という言葉を使わずに済むように残った我々は行動すべきだと感じました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あれから13年がたち、今回の旅行で思う事は被災地は未だに被災地であり、見た目は綺麗になったとしてもその場所に人はおらず、復興とはとても言えない現状と、その地でなんとか以前の雄勝を取り戻そうと奮闘努力する人々の想いが我が事の様に感じられました。

また未だ心癒えない人達もいる中で22,300もの人が亡くなった大災害があった事を決して忘れてはいけない事だと思います。そしてこれからも起こるであろう大災害に対する備えをする事で今回お世話になった皆様への恩返しになるのではないかと感じました。

 

最後にこの様な機会を与えて下さった会社と歳原社長へ深く感謝いたします。

 

以上

 

 

 

 

 

 

 

 

 

7月 13

復興はまだまだです

まだまだ復興途上の雄勝の中で、成澤さんの牡蠣工場は元気に稼働しています。

 

高台移転の工事も進んできましたが、まだまだ復興は先の話です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5月 09

弊社設立55周年記念旅行を被災地の雄勝町、南三陸町で催行しました

2016年4月22日から一泊で弊社創立55周年を記念しての社員旅行を催行いたしました。

行先は我々がボランティア活動をしている雄勝町と南三陸町、総勢45名、観光バスを借り切っての大移動でした。

初日は南三陸町にある「ホテル観洋」東北随一の観光ホテルで、震災時には被災者の避難所として提供されたそうです。

こちらで雄勝支所の千葉様をはじめm阿部次長様、石巻商工会町である澤村様並びに青年部の小松様、そして成澤さんもご招待しての盛大な記念パーティを執り行いました。

サプライズでの楯のプレゼント

会場ではサプライズとして雄勝町より雄勝硯で出来た楯(楯には絆の文字が)をプレゼントして頂きました!

突然のプレゼントに感無量でした。

                                 楯には「」の文字

 

二日目は南三陸町の語り部ツアーに参加して被災地を巡り、その後雄勝町へ移動して悲劇の大川小学校にて全員で黙とうをささげました。

                                 南三陸町防災センター
                                 大川小学校慰霊碑
全員で黙とうを捧げました

そして大川小学校を後にし、雄勝町へ入り千葉様より雄勝町の復興の現状と今後について説明を受けました。

人口は震災後1/3に減ってしまったとのことでとても残念な想いと、復興とはインフラや居住地が出来れば良いというもではないという事を改めて感じ、復興の困難さを思わずにはいられませんでした。

千葉さんから復興の現状を説明して頂きました
高台かさ上げ事業の看板
その後美味しい海の幸山盛りのお昼を頂き、成澤さんの所へ行きました。
初めて雄勝に来たメンバーを中心に成澤さんの船で牡蠣棚の見学をさせていただきました。
みんな興味津々で成澤さんの説明を聞いていました。
成澤漁業さん
成澤婦人の説明に熱心に聞き入ってます
乗船前にパチリ
船の上でもみな真剣に成澤さんの説明に聞き入っています
思い出深い旅行になりました
今回初めて被災地を訪れた参加者にとっては、被災地を身近に感じるきっかけとなり、再訪となる参加者にとっては5年を経過してもなお、復興へはまだまだ長い時間が必要であり、支援はこれからもまだ必要であると認識されました。
また震災の記憶を風化させない事の大切さを改めて考えさせられた感慨深い旅行となりました。

11月 27

竹下復興大臣と意見交換

2015年6月4日

竹下復興大臣より雄勝の状況について話を聞きたいとのことで復興省にて

次官、参事官も同席の上意見交換をしました。

 

竹下復興大臣も雄勝に何回か訪問しており、現地の状況は正確に情報をお持ちでした。

雄勝地区は石巻市の中でも特に復興が遅れている地域でもあり一層の復旧対策をお願いした次第です。

 

4月 28

復興支援祭り開催

4月12日(日)に石巻市雄勝町への復興支援のお祭りが厚木商工会議所の依知北ブロックを地元自治会主体で開催されました。
昨年は厚木商工会議所と地元依知北ブロックの自治会のメンバーで雄勝町中心に被災地を視察しました。

被災地視察後、一昨年の行った復興支援のお祭りを今年(平成27年)の4月に行うという事になり、今回の開催となりました。 詳細は下記に添付した、厚木市の広報とお祭りのパンフレットを参照してください。

弊社が始めた草の根の被災地支援の輪が大きく広がったことは大変嬉しく思っています。 震災後4年を経過し、震災の出来事がだんだんと記憶から薄れていくなか、この様な形で被災地との繋がりが継続できるように精一杯頑張りたいと社員一同願っています。

 

取締役社長 歳原 博幸

交流イベント042 PDFファイル

 

雄勝町の伝統「黒船太鼓」勇壮な太鼓の響きに誰もが聞き入っていました。

こちらは地元厚木の「根龍太鼓」こちらは賑やかで軽快な響きで雄勝町と厚木市の太鼓の競演となりました。

石巻の物産販売コーナーは終始盛況でどの商品も飛ぶように売れました。売上金は全額雄勝町へ送られました。

 

地元ダンススクールの子供たちの演技もお祭りに花を添えていました

小林厚木市長さんも、厚木市のゆるきゃら「あゆころちゃん」と供に応援に駆け付けてくれました

 

9月 10

2014年5月23~24日厚木商工会議所、依知北自治会被災地視察

5月23、24日の二日間にわたって、石川会頭をはじめとする厚木商工会議所のメンバーならびに
依知北自治会の有志50名で、弊社が応援している石巻市雄勝町へ視察に行って参りました。
内陸工業団地の組合会館から元湯観光の新型バスにて石巻までの往復400キロの長旅でしたが、被災地の
実情を見分して頂きました。

宴会風景


南三陸町防災庁舎

23日は南三陸町を語り部によるガイドでその惨状を視察し、翌24日は大川小学校をお見舞いしました。
一同声もなくご冥福をお祈りしました
午前中に雄勝支所にて千葉支所長と河北商工会長の澤村さんから、被災状況の説明と今後の復興計画の
説明を受けました。まだまだ復興の第一歩を踏み出したばかりで、今後の復興の多難さを実感しました。

大川小学校

 

雄勝支所での説明会

雄勝支所での説明会

 

復興市場で地元産の海産物をたくさん購入したあと、成澤漁業成澤夫妻から牡蠣の養殖の説明をうけました。
ご夫妻の嬉々とした表情がとても印象的でした。

成澤ご夫妻の説明


成澤漁業牡蠣加工場

成澤ご夫妻の説明

昼食は波板という小さな漁村の皆さんのおもてなしにより、牡蠣、ホタテ、ほやの石焼を堪能して帰路につきました。

波板での昼食会風景

 

波板での昼食会風景

 

波板での昼食会風景

今後もこの様な形で被災地を訪れる人が増えることを祈るばかりです。

歳原 博幸


						
						
						
		

5月 28

第10回 雄勝ボランティア活動 2014年4月17日~4月20日

第10回目の雄勝ボランティア活動に行ってきました。

あの日から3年が過ぎ我々の活動も10回を数え、これまで取りためた写真を見るに至り

3年経ってもまだまだ復興は遠いと感じます。

 

今回のメンバーは 本多、山路、相生の3名

このうち山路、相生は初参加という事でようやく雄勝に行けるという思いで張り切っていました!

 

4月17日

AM7:00に会社を出発、途中都内の大渋滞に巻き込まれてしまい、石巻に到着したのはPM15:30頃でした。

早速、石巻市役所雄勝支所へご挨拶に伺い、互いの近況報告などしました。

その後成澤さんの工場へ伺い、翌日からの作業の打ち合わせをして今回お世話になる亀山旅館さんに入りました。

石巻市役所雄勝支所

 

成澤漁業~成澤さんの工場です

 

信頼の成澤ブランドです

 

今回お世話になった亀山旅館さん

この日は亀山旅館さんの美味しい食事を頂き、翌日からの作業に備えて早めに就寝しました。

 

4月18日

AM8:00、いよいよ作業開始です。

今回のブイの掃除ですが、船には乗らず陸での作業でした。

ブイに付着したフジツボや海藻などを一つずつヘラを使って掃除します。

大量のブイ!

 

単純な作業ですが陸に上がり乾いてしまったフジツボはとても硬くかなりの力が必要でしたが

夢中になって作業しているうちにお昼になりました。

手打ち蕎麦てらっぱだけ

お昼は雄勝町に震災後に出来た手打ちそばを頂きました。

こちらのお蕎麦屋さんは震災瓦礫を利用していて、やはり沢山のボランティアさんの力を借りて建てられたとの事でした。

てんぷら蕎麦、とても美味しかったです!

 

午後からも引き続きブイの掃除をしてPM16:30に作業終了しました。

旅館に帰り、夕食を食べるときに手がびりびりとしびれていて食べるが大変でした

作業中は夢中になっていて気づきませんでしたが、かなりの力仕事だったかがわかりました。

 

 

 

4月18日

この日もAM8:00から作業開始です。

昨日の疲れが残っていてみな大変でしたが必死に頑張りました!

ブイの山に埋もれながらの作業です

必死に頑張ってます

最後は無言。。。

 

綺麗になりました!

掃除したフジツボなどの屑です

3人で記念写真・・・かなりへばってました^^;

 

夢中で作業した二日間はあっという間に過ぎ、ようやく作業にも慣れ始めたと感じた頃には

終わってしまいました。

何かもっとお手伝いが出来ないかと思いとても心残りです。

そして、また来るぞという気持ちになりました。

 

この様な貴重な体験をさせて頂いた会社、そしてお世話になった成澤さんご夫妻、亀山旅館のご家族の方々に感謝いたします。

みなさんとても心温かく優しい方がたで、第二の故郷のような思いに駆られました。

 

震災から3年が過ぎて、被災地はいまだに復興が進んでおらず心が痛みました。

 

writer 加工課 山路

 

 

 

 

7月 01

第9回 雄勝町ボランティア活動 2013年6月20日~23日

今回の参加メンバーは、内田、佐藤、石川の3名。そのうち佐藤と石川は初参加でした。

 

初日はAM7:00に会社を出発、途中朝の通勤ラッシュ渋滞に巻き込まれ、石巻に到着したのは、PM15:00を過ぎた頃でした。 初めて見る被災地の状態に改めて津波の恐ろしさに驚きました。

建物はほとんど流され、分厚いコンクリートの防波堤が粉々になっていて、海の周りは更地になっていました。。。

全てが流され更地となった被災地

 

震災から2年が過ぎ少しずつ新しい建物が建ち始めてきました

 

第2回ボランティアで瓦礫の撤去をした雄勝小学校も取り壊されていました。

雄勝入りし、まずは雄勝支所へご挨拶の為訪問。
お話を伺うと、最近では残された大きな被災建物の撤去を発注しても請け負ってくれる業者さんが、他の工事で手一杯な為、入札が入らず困っているとの事でした。
ただ、雄勝町の中に仮設の商店が出来たりして、ほんの少しだけ賑やかさが戻ってきていると嬉しそうに言っておられたのが印象的でした。

 

複雑な気持ちでお世話になる成澤さんにご挨拶をして、明日の作業開始時間をAM7:30からと確認して全勝旅館さんに入りました。
夜には美味しい海の幸、特に殻のまま出されたウニのお刺身は最高でした!
雄勝町はウニも名物で、港からも美味しそうなウニが海の中にうようよいるのを見かけました。 もちろん、私達がとってしまうと法律に違反してしまいますのでじっと我慢しましたが・・・。

 

2日目、AM6:00に起床して朝食をとり7:30から作業開始!
どんな作業かと少し不安でしたが、ブイの掃除と聞き簡単そうで良かった^^!・・・と思ったのも束の間でした。
始めてから数分で 気付きました・・・・ナメていた!
ヘラを使って、ブイに付着したフジツボや牡蠣殻を削ぎ落としていくのですが、固くて取れない!
メンバー3人とも必死に格闘するも悪戦苦闘・・・
この作業を普段お一人でこなしている成澤さんはかなりパワフル、すごい!、当然私たちは足元にも及びませんでした・・・。

フジツボや牡蠣殻と格闘中です!

 

そしてお昼は、新しく出来た雄勝町内唯一のお蕎麦屋さんへ
そこのご主人が「この店はボランティアさんと一緒に協力して建てた」と話してくれました。
人の助け合いとは素晴らしいと思いつつ、美味しくおそばを頂きました。

ボランティアの方と一緒に再建したお蕎麦屋さん。美味しかったです!

 

その後、16:00頃まで再び同じ作業をして2日目は終了。

2日目の夜は疲労で夕食後すぐに寝てしまいました・・・

 

3日目の朝も6:00に起床!
ん? 肩と腕が痛い(><;)・・・ 3人とも筋肉痛でした・・・
なんとか体を動かし昨日と同じ7:30作業開始。 風を切って走る船、牡蠣棚までの移動中はちょっと楽しい^^
今日も引き続きブイの掃除、ロープに付着したホヤが滑車に挟まり水を撒き散らしながら度々爆発! 目に入ると物凄く沁みます・・・成澤さんもホヤには気をつけろと言っていましたが、結局顔中ホヤ汁だらけになって作業していました。

 

休憩中に石川君が獲れたての牡蠣を試食、全く臭みもなく大変美味しかった様でした

まさに獲れたて新鮮そのもの! 

 

獲れたての牡蠣を試食する石川君

 

身体は思うように動きませんが、コツをつかみスピードアップしてきた所で3日目の作業は終了、ちょっと残念でした。
この日は道の駅にある温泉で疲れを癒してから就寝。

 

最終日
全勝旅館さんの優しいご夫婦と美味しいご飯にお礼を言い、お世話になった成澤さんの工場へご挨拶へ。 迷惑ばかりかけたかと思っていましたが、遠いところからわざわざ手伝いに来てくれて助かったと言って頂き、私たちは嬉しい気持ちでいっぱいになりました。
今回初めてのボランティア活動で、お役に立てたかは分かりませんが、自分なりに一生懸命手伝い、人と人との助け合い・絆の大切さを学ぶ事が出来ました。
また、機会を与えてくれた会社・成澤さん、暖かく迎えてくれた全勝旅館さんのご夫婦に心から感謝しています。 有難うございました。

休憩の合間、成澤さんと色んなお話をしました

 

今回の参加メンバー、左から石川、内田、佐藤

 

writer 加工課 佐藤 旬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5月 01

第一回ボランティアを思い出し~ある大学生の手記~(平成25年4月21日記)

私は当時、テレビで映る被災地の状況を見て、何か自分に出来る事はないかと考えていました。

震災直後は、混乱を避けるため個人で現地に行く事は出来ず、私に出来る事といえば募金箱にお金を入れる事ぐらいでした。

その時、父が会社で支援物資を被災地に出すという事で、一緒にボランティアとして現地に派遣してもらう事になりました。

 

4月7日、ボランティアとして友人一人と供に現地に到着しました。

現地は、本当に言葉を失ってしまう程ひどい状態で、道は瓦礫で覆われ船や車が何台も積み重なって放置され、建物はほとんど原型をとどめていない程壊れていました。車の外に出ると鼻で呼吸が出来ない程臭いがひどかったのを覚えています。また道には魚の死骸が到る所に落ちていました。

 

市役所の中では。『死亡届』と書かれている窓口にたくさんの人が並んでいました。外の仮設の給水場や食料支援の建物の前にも、たくさんの人が並んでいて、とてもじゃないですが写真を撮れる状況ではなかったと思います。

 

そこから一週間、石巻ボランティアセンターの校庭でテント生活をしながら、ボランティア活動を行いました。 ボランティアセンターには約200人のボランティアがテンや自分の車の中で生活していて、毎朝8時になるとそれぞれ振り分けられた場所に赴いて瓦礫、ヘドロの撤去作業や、まだ壊れていない建物(家や学校)の中の清掃作業を行いました。

その作業は大体16時くらいに終わってしまい、その後は各自休憩するのですが、私たちは近くの家の人の瓦礫の撤去などを暗くなるまで手伝ってからテントに帰っていました。

近くに住む三浦さんという老夫婦の家がとてもひどかったので、彼らの家を主に毎日手伝っていました。

テントでの食事は、炭に火をつけてコメを炊き、それにふりかけや塩をつけて食べていました、当然シャワーはなく、服もほとんど変えずかなり臭い状態で毎日を過ごしていました。

 

5日目も、いつもの様に作業を終えた後に三浦さんの家に向かい作業をしていると、『お風呂をわかしたから今日は入っていきなさい』と三浦さんに声をかけて頂きました、現地には当時水もガスも通っていませんでしたが、近くに三浦さんの親戚が住んでいて、そこから水を大量に貰ってきたから今日は薪で風呂をわかせるという事でした。

私たちは、『ボランティアがそんな事に甘える事はできません』と断り続けましたが、三浦ふじこさん(通称ふじこちゃん)が頑固で、最終的に入ることになりました。

風呂に入っている時は、ちゃんと帰れるところがある自分が甘えてしまっていることに対する後ろめたさと、こんな状態でも自分たちにここまでしてくれる三浦さんに対する感情など、いろいろな感情がうずまいていました。

お風呂から出て、お礼を言おうと思って居間の扉を開けると、三浦さんの息子さんや新s根木の方々が座っていて、僕たちに『ボランティアに来てくれて本当に助かっている。本当に有難う』と涙声で言っていて、思わず涙してしまったのを覚えています。

当時、海の近くにいけば行く程、現地は悲惨で私たちはボランティアをしていても、私たちはボランティアをしていても感謝をされるという経験はほとんどありませんでした。その時の現地の人々は体も心も疲れていてそんな余裕もなかったと思います。親戚が亡くなっている方も多く、三浦さんも親戚の6人が亡くなってしまったとおっしゃっていました。

ボランティアは感謝をされるためにしていたわけではないですが、現地の人に感謝されたことで、自分がしている事が本当に人のためになっていると感じる事ができ、より復興のために頑張ろうと心から思いました。

石巻専修大学グランドに設置されたボランティアセンター

その後、4月13日まで毎日ボランティアを行い、東京へ帰りました。

途中震度6強の最大余震が発生し、地震の怖さを身を以て体験することになりました。

 

現地でボランティアを行うことで、テレビで見る被災地とは全く違う、本当に悲惨な現状を目の当たりにしました。  この街の復興のために私はもっと貢献したいと思っています。

そして、今の自分の生活がいかに幸せであり恵まれているか、という事を再認識させられました。自分が当たり前であることが、どんなに幸せであるかとちゃんと認識しながら生きて、そして復興にも貢献したいと思っています。

 

 

writer歳原 大輝(立教大学4年生)

4月 17

4月14日 石巻市雄勝町復興支援祭り大盛況で幕!

雄勝町復興支援祭りが4月14日(日)、厚木市内陸工業団地、藤塚みどり公園にて開催されました。

 

 

復興支援祭りちらし

 

 

公園入口垂れ幕

 

 

会場風景 

 

予想以上の人が集まり大盛況でした。

 

厚木商工会議所 石川会頭挨拶    黄色のジャンパーの方が石巻市役所千葉次長

 

 

そもそもは、厚木商工会議所の上依知北支部の理事会で当社のボランティア活動を歳原が報告したところ、上依知北支部で雄勝町の復興支援のお祭りを開催しようと即座に決定したのが始まりでした。

その後は地元自治会をはじめ、厚木商工会議所、各企業のご協力で今回のお祭りを迎えることが出来ました。

雄勝町からは当社が応援している成澤さんご夫妻と雄勝支所の千葉さん等7名もの人が参加してくれました。

 

 

お祭り当日の朝、成澤さんご夫妻を囲んで当社ボランティアの記念撮影

 

 

牡蠣汁は牡蠣の旨味が凝縮されたみそ味で、一杯食すれば病み付きになる味わいで、ホタテ焼きは新鮮そのもの、しかも直径8㎝もある大きな身で、噛むほどにうま味が口の中に広がりこれまた病み付きとなる味

その美味しさが評判を呼び、さらに行列が長くなり一時は品切れをしてしまうほどの評判でした!

牡蠣汁1500杯に大行列ができました

 

牡蠣汁、ホタテ焼きをふるまう当社ボランティア

 

牡蠣汁、ホタテ焼き提供メンバー

 

 

当日急きょお手伝いに入った綿あめの販売

 

 

当日は、地元の子供たちのダンスや、根龍太鼓、歌謡ショー、キックボクシングのパフォーマンスなど多くの催しもあり、子供から大人まで楽しめる催しとなりました。

根龍太鼓、大漁旗は雄勝からもってきて頂いた本物です!

 

子供たちによる根龍太鼓

 

キックボクシングパフォーマンス

 

キッズダンスショー

 

キッズダンスショー

 

 

予想以上の大盛況に、ボランティアとして参加した我々もやりがいのある一日となりました。

左から歳原社長 、社長ご友人、成澤さん

 

 

3.11後、当社が先鞭を切って始めた雄勝町への支援がこの厚木まで広がった事は本当に嬉しいことです。

今後も、支援活動を続けていく所存ですが、一人でも多くの方が被災地の事を忘れないで頂きたいと思います。

 

writer 企画課 内田知己

 

 

 

3月 26

3月22日 INF(全国異業種交流団体)in石巻実行委員会

3月22日(金)今秋、9月27日に宮城県石巻市で開催されるINF(全国異業種交流団体)全国大会に向けての実行委員会が開催されました。

 

この大会の趣旨は石巻の復興をどう具体的に支援を進めて行くのかといった内容で、大変有意義な議論がなされました。

 

実行委員会の詳細はこちらをご覧ください。

INF石巻企画会議(3月22日) PDF

大会イメージ20130322石巻     PDF

 

 

3月 25

厚木商工会議所主催 雄勝町復興支援祭りのお知らせ!

当社も所属しております、厚木市商工会議所依知北ブロック会議において

宮城県石巻市雄勝町支援事業として、4月14日に復興支援祭りを開催することとなりました!

 

東日本大震災から2年、復興への兆しがまだ見えない中、水産業をはじめとする被災者の方々は現状回復へ向け日々努力を重ねております。

当社においても、東日本大震災以来継続的な活動を現在も続けておりますが、この活動をブロック会議の中でお話ししたところ、「商工会でも何かお役に立ちたい!」との声が上がりました。

 

そこで、復興支援祭りを開催しその会場にて石巻市雄勝町で生産されている海産物、物産品等の紹介・販売会を開催し、少しでも被災地への支援に繋がればと考えた次第です。

その他、根龍太鼓や子供会のダンス、カラオケ発表会や舞踊ショーなど等、もちろん屋台や大道芸、厚木名物シロコロホルモンの屋台も登場して内容盛りだくさんで皆様のお越しをお待ち申し上げております。

 

開催概要

日 時 : 平成25年4月14日(日) 午前10:00~午後16:00

会 場 : 藤塚みどり公園(神奈川県内陸工業団地会館前)

主 催 : 厚木商工会議所 依知北ブロック会議実行委員会

後 援 : 厚木市

内 容 : 石巻市雄勝町で生産されている海産物・物産品等の販売・紹介


大きな地図で見る

 

12月 20

11月30日  雄勝、成澤さんの牡蠣工場訪問

立派な工場が完成しました。

 

全てが流された漁村の一角に間違いなく人の流れがありました。

 

牡蠣殻を剥く人、宅急便の人、集金に来る人、そして見学に訪れる人、小さいながらも間違いなく復興の息吹を感じます。

 

成澤さん万歳!

頑張りましたね、3.11から1年半! さぞ長かったことでしょう

みなさんの応援に見事に応えてくれました、応援した我々も喜んでいます。

全国でも屈指の品質を誇る成澤の牡蠣を沢山作ってください。

 

↓  成澤漁業概要はこちらをクリック

成澤漁業概要・・・・・・・・・PDFファイル

 

歳原 博幸

 

 

10月 23

10月19日 牡蠣養殖間もなく本格再開

先日、ご紹介しました元NHK記者、松舘忠樹氏のブログの続編が更新されました。

 

ブログURLはこちらです → http://sakura3411.at.webry.info/201210/article_5.html

 

 

 

10月 02

9月28日 雄勝 牡蠣養殖本格再開へ 

元NHK記者松舘忠樹氏のブログで当社がご支援させて頂いている、成澤さんの牡蠣養殖再開の

記事が紹介されました。

 

リンクはこちら→http://sakura3411.at.webry.info/201209/article_7.html

 

いよいよ、牡蠣の加工工場が再建され、来月(11月)には2年ぶりに牡蠣の出荷を再開できるところまできました。

 

現地はいまだに更地が広がっており、震災前の街並みを取り戻すには至っておりませんが、そんな中で再建された新工場は復興のシンボル的な存在になっています。

 

是非、松舘氏のブログも読んでください。

9月 22

第二回復興支援販売のお知らせ  2012年9月20日~25日

前回に引き続き、9月20日~25日にかけて雄勝町復興支援販売開催させていただきます。

今回も、陶芸家永島正雄氏にご協力いただき、『永島正雄陶芸展』にて、ブースの一部をお借りして新鮮な雄勝町のワカメ販売を行います。

皆様のご厚意を雄勝町復興の糧になれば、と思い再び開催させていただきました。

 

日時:9時20日(木)~9時25日(火)11時~18時

会場:「可喜庵」 小田急線鶴川駅より徒歩7分( http://www.suzuki-koumuten.co.jp/13KAKI-AN/02kaki-aboutus.htm )

前回に引き続き、9月20日~25日にかけて雄勝町復興支援販売開催させていただきます。

今回も、陶芸家永島正雄氏にご協力いただき、『永島正雄陶芸展』にて、ブースの一部をお借りして新鮮な雄勝町のワカメ販売を行います。

皆様のご厚意を雄勝町復興の糧になれば、と思い再び開催させていただきました。

 

また、9月24日(月)17時より、ギャラリートーク「東北復興ボランティアの今」

弊社社長、歳原がお話させていただく予定となっております。

お時間がございましたら、是非おこしください。

これは永島氏のご厚意によって実現いたしました。 永島さんありがとうございます。

※会場である「可喜庵」ですが、駐車場はございません。駐車は鶴川駅でお願いします。また、土日午後は鶴川近辺は込みますので、ご留意ください。

 

8月 31

第8回 雄勝町ボランティア活動 2012年8月23日~26日

震災から1年半を経て、今回で8回目となるボランティア活動が8月23日~26日までの4日間の活動となりあmした。前回大変お世話になった成澤さんのお手伝いをさせて頂けることもあり、メンバー全員強い意気込みで現地に向かいました。

参加メンバーは、加藤、沼田、長谷川、歳原大輝です。

 

会社を朝6:30に出発して、途中事故渋滞に巻き込まれつつ現地の石巻市雄勝へ到着したのは15時頃となりました。 一同、依然として変わらぬ現地の様子に沈黙するばかりでした。

瓦礫の片づけは終わっているものの、かつて家があった場所は更地となり一面に草が生い茂っていました。

「町の面影が消えてしまうのか・・・」

悲痛な気持ちでいっぱいになりつつ、4日間お世話になる全勝旅館さんに入りました。

この日は明日からの作業に備えてゆっくり休むことにしました。

 

2日目

海の仕事は朝が早い! 早朝4時に起床し、4:30から成澤さんの船で牡蠣棚へ向かいました。

今回の作業は前回と同じで、ロープに付着したイガイ、藤壺、海藻類の取り除きです。

これからの作業に意気込むメンバー! この時まではみな余裕の表情・・・

これから過酷な作業が待ち構えているとは・・・この時は誰も想像していませんでした。

 

いよいよ作業開始!

炎天下の日差しの中、一人がロープを叩き、ロープに付着したイガイ、海藻類を叩き落とします。

そしてブイを持ち上げて付着したイガイ、藤壺をヘラを使ってこそぎ落とす作業の繰り返しでした。

時間が経つにつれ日差しも強くなり、力も思うように入らなくなっていきました・・・。

心の中で「うわっ! めっちゃきつい、めっちゃきつい」とメンバーの全員が思っていたと思います。

 

この作業を一人でこなしている成澤さんは凄すぎる!黙々と海を眺め、作業をする姿はまさしく海の男でした。こんなに時間と手間をかけて育てている成澤さんの牡蠣は最高に美味しいでしょう。

 

作業は、暑さも厳しくなってきたので、11時頃に切り上げました。

作業初日、午前中の海での作業を終えたメンバーは疲労困憊でした、この後にメンバーの長谷川君の眼鏡が雄勝町分浜の海へ沈んでしまうとは。。。。。。「残念><」

 

午後からは、当社で支援させていただいている、牡蠣加工場の建設現場のお手伝いをすることになりました。

作業は、地面を掘った砂利をスコップと一輪車で別の場所に移す単純な仕事でしたが、かなり体力のいるハードな仕事でした。

一日の作業を終え、メンバーはかなりの疲労でぐったりしていましたが、全勝旅館の美味しい夕食をたらふく食べて、また明日頑張ろうという気持ちで即就寝。

 

3日目

昨日と同じ朝4:30から作業に向かい、体が思うように動かない中、交代しながら必死にロープを叩き、取り除き作業をしました。

昨年の10月に私も参加したボランティア活動で牡蠣の種付けをお手伝いさせてもらった時の成長した牡蠣を見せてもらいました。

どっしりと重くなった牡蠣、まだまだ小さいようでこれからどんどん成長するそうです。

きっと美味しい牡蠣に成長するはずです。

 

この日の夜は成澤さんのお宅に招かれ、夕飯をご馳走になりました。

新鮮な海の幸のフルコースが盛りだくさん! ホタテやウニ、お刺身の豪華な食卓でした。

そんなフルコースにお酒がどんどん進む、進む、進む・・・

案の定私は、我が家のように寝てしまいました。・・・・・・・・・すいません^^;

本当にいろいろとお世話になりました。

 

最終日

4日間お世話になった全勝旅館のご夫婦ともお別れです。

とても親切に接してくれて、いつも私たちを気にかけてくれていました。

美味しい料理、自然に満ち溢れた空気、是非また来たいと思います。

 

 

帰路は、大きな被害を生んだ南三陸町に向かい、壮絶な光景を目の当たりにすることになりました。

津波の直撃を避けられない陸地で、辺り一面何もない状態に言葉もありませんでした。

震災から1年半経とうとしても復興にはまだまだ時間がかかる事を実感しました。

 

 

今回ボランティア活動に参加し、成澤さんのお手伝いをさせてもらいましたが、中々思うような動きが出来ず迷惑をかけてしまった部分もあったかと思います。しかしメンバー全員が少しでも力になりたいという想いで、一生懸命頑張りました。

私もこの経験を何かに活かせればと思います。

そして、また機会があれば是非とも参加したいと思っています。

このような機会をいただいた会社そして面倒をみて頂いた成澤さんに心から感謝しています。

 

最後に、東北の被災地の復興を心からお祈り申し上げます。

 

writer 貼合課 沼田芳男

 

 

7月 19

第7回 雄勝町ボランティア活動 2012年6月14~17日

今回で7回目となるボランティア活動は本多、玉田、吉田、進藤の4名が参加しました。

本多と、私は2回目の参加でした。

 

初日は、AM6:30にコンポーを出発、13時に石巻市へ到着しました。

昼食をとり雄勝町に入りました。

昨年5月に当社ボランティアが整地した雄勝小学校や7月に片付けをした硯伝統産業会館の前を通り、初参加のメンバーに1年前との変化を車中で話しました。

 雄勝小学校2011年5月       雄勝小学校2012年6月

 

雄勝硯伝統産業会館2011年7月    同2012年6月

 

1年を経てなお、復興の進まない現状に一同暗澹たる思いで雄勝の町を目的地の分浜へ向け車を走らせていました。

 

ほどなく分浜に到着して、成澤さんと明日からの作業内容の打ち合わせをしてから全勝旅館へチェックイン

全勝旅館からの眺め・・・地盤沈下で満潮時には船着き場が浸水するため苔がべったり張り付いています。

 

翌日はAM4:30からの作業となる為、夕食後はすぐに布団に入り明日からの作業に備えました。

 

2日目

いよいよ作業開始です。

4:30に港へ集合して成澤さんの船で牡蠣棚へ向かい作業方法のレクチャーを受けてから作業開始

作業内容はブイに付着している海藻、藤壺、藻をヘラを使って綺麗にすることでした。

大量の海藻や藤壺が付着したブイは浮力が無くなり、成長した牡蠣の重みとで海中に沈んでしまいます。

そのまま放置していると海底まで沈んでしまうので、収穫が出来なくなってしまいます。

 

最初はなかなか上手く出来ずに苦戦していましたが、皆黙々と作業をしているうちにコツも掴み、同じように見えていたブイでも取りやすいものとそうでない物が判るようになりました。

牡蠣棚一本(ブイ40~50個)につき約30分ほどかかってしまいました。

3日目の天気予報が雨の確立が高かったので少々時間を延長して16時頃まで作業を続けました。

慣れない作業と普段使わない筋肉を使った為か、1日目の作業が終わった後は全員体のあちこちが痛く、指にまめが出来た人もいました。

旅館に戻り一日の疲れを癒すため、ゆっくりとお風呂につかり、夕飯後は全員いびき3秒でした。

 

3日目

幸い雨は降らず風が少々ある程度でした。この日はAM8:00からの作業開始です。

作業内容も2日目と同じでしたが、沖に出たのと風の影響で波が高く、船酔いの薬を飲んでいましたが酔ってしまい辛い作業となりましたが精一杯頑張りました。

 

もっとも成澤さんに言わせるとこの日の波はまだまだ凪の状態という事でしたが・・・^^;

新しいブイも追加して成長とともに重みの増した牡蠣棚を浮上させる作業もありました。

そして昨年10月に当社ボランティアでお手伝いした種牡蠣が順調に成長している様子も見せてもらいました。

 この日は雨も降ってきたので12時で作業を終え昼食を成澤さんのお宅で頂きました。

そして旅館に戻り夕方まではみな疲れを癒して、夕食の後再び成澤さんのお宅へ伺いお疲れ様の祝杯をあげました。

 

牡蠣棚21本、約800個のブイの清掃が出来ました!

成澤さんも思ったよりも作業が捗ったと喜んで頂き、少しでもお役に立てた事に達成感を覚えました。

中でも一番作業を頑張った吉田君は成澤さんの息子さんに性格も体格もそっくりらしく、まるで家族のように楽しくお酒を飲んでいました。

残念ながら直接牡蠣に触れることは出来ませんでしたが、大きな牡蠣が育ちますよう祈っています。

そしてこのような貴重な体験をさせてくれた会社そして成澤さんにも感謝をしています。

 

今回参加メンバー

 

writer:加工課 進藤信人

 

7月 05

雄勝町復興支援販売無事終了しました!  6月7日~6月13日

 

今回、6月7日~13日の間、ギャラリー喫茶『なよたけ』にて、陶芸家永島正雄陶芸展が開かれました。

その際に、ブースの一角をお借りして、4月からのボランティア活動をまとめたボードの展示と、雄勝の昆布・ワカメの販売をさせて頂きました。

 

 

雄勝の味覚と、そしていまだに復興が進まない現状を知って頂きたいという当社の思いが、永島さんと『なよたけ』店長小高さんのご厚意により今回の企画が実現しました。

 

*ボードの作成はボランティアに参加したメンバーで作成しました。

 

私も三回程参加させて頂きましたが、改めて写真で見比べてみると、余り復興の進んでいない状況に憤りを感じました。

ただ、被災された方々の立ち直ろうという強い思いは、自分達にとっても励みであり、これからも、この活動を続けていこうと感じました。

 

 

昆布とワカメの販売も好調で三日目には完売致しました。

 

お買い上げ頂きました方々へ

誠にありがとうございます。みなさまのお気持ちは、当社が責任を持って被災者の方々へお届け致します

 

快く場所をお貸ししてくれた小高さん、永島さん本当にありがとうございました。

 

 

喫茶店『なよたけ』は本厚木サティ―の横、セントラルハイツ2階にあります。 とても雰囲気のいいお店でした。 http://www9.plala.or.jp/nayotake1/

 

営業部 歳原悠司

6月 05

復興支援販売のお知らせ  2012年6月7日~13日

雄勝町復興支援として、厚木市にあるギャラリー喫茶【なよたけ】にて開催される

陶芸家永島正雄氏の『永島正雄陶芸展』にて、ブースの一部をお借りして新鮮な雄勝町のワカメ販売を行います。

これは永島氏のご厚意によって実現いたしました。 永島さんありがとうございます。

皆様のご厚意を雄勝町復興の一助となるようにとの想いからでございます。

是非お越しくださいますようお願い申し上げます。

【ぎゃらりー喫茶】なよたけHP:http://www9.plala.or.jp/nayotake1/

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